【連載】ものづくり教授の現場探訪 (第15回)

 これまでに4,000を超える工場の現場を訪問してきた中小企業のものづくりのスペシャリストによる連載コラムの第15回です。本連載では、日本の町工場のものづくりの現場を分かりやすく解説します。
 解説は、政策研究大学院大学 名誉教授 橋本 久義 氏です。

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【第15回】「新価」を育む~金属に新たな付加価値を

時代は変わってもメッキは残る

 仁科工業株式会社は、1956年創業、2026年に70周年を迎えるメッキ企業の老舗だ。身近なものから宇宙関係機器まで、数ミリの精密部品から大型機械まで、幅広い分野の多種多様な製品のメッキ加工(写真1)を行っている。そのものづくりのキーワードは「現場力」。大きな工作機械のベットを丸ごとメッキする設備を持つ、世界有数のメッキ企業だ。

写真1 製品のメッキ加工

信号機の制御部品のメッキで基盤を固める

 仁科工業(株)の創業者は仁科一二(いちじ)さん。1911年生まれで、戦後復員して大宮に近い与野のメッキ工場で修行して1956年、45才の時に独立創業した。当時は徒弟制度が生き残っており、親方は弟子の独立を助けるのが当たり前で、「出来る」親方は独立した弟子の数を自慢し合う風潮もあった。

 仁科が創業した1956年と言えば神武景気(1949年12月~1957月6月)の最中で、その後、ナベ底景気という不況期はあったものの、続く1958年の皇太子様(現上皇陛下)の御成婚をきっかけとする岩戸景気(1958年7月~1961年12月)、オリンピック景気(1962年11月~1964年10月)と日本が高度成長を謳歌した時代であったために経営は順調に発展した。
 また、創業した場所もよかった。大宮の北(宮原)に国鉄(現JR)の工場があって、周辺に鉄道資材の関連企業が沢山あったし、日本ピストンリングのような自動車部品企業も多く、新潟鉄工所なども立地していた。

 仁科は当初小さなメッキ槽で電気関係の小物部品のメッキを手掛けていたが、すぐ近所にN信号という信号機の大手があって、当時東海道新幹線を作るという話があって、この膨大な需要に応えるため、仁科工業も目が回るほど忙しくなった。仁科は主として信号機の制御部品のメッキを手がけていたが、メッキの不良が大事故につながるため、技術力が自ずと磨かれた。

 仁科俊夫会長は言う。「お客さんから『これできないか、あれできないか』っていう相談があって、どうやればいいか困ったことも何回もありましたが、あの頃のお客さんはのんびりしていて3ヶ月先でも待ってくれていましたので、2、3ヶ月あれば色々工夫して、大体なんとかなっちゃいます。大きな設備投資の思い出としては無電解ニッケルメッキの導入があります。そういう技術があることは知っていましたが、特許もあるし、日本では誰もやってないんで、おっかなびっくり、薬液を購入して、30cm×30cm×40cmという小さな槽で、新幹線のATCのリレーのメッキを始めた。おかげさまで評判が良かったので30リッターのメッキ槽だったものを思い切って100リッターにし、1000リッターになり、1万リッターになり、3万リッター になった。現本社工場はさいたま新都心の圏内にあり、拡張ができなかったので、久喜に新工場を作って、今は3万リッター(4.5mx2mx3.3m)。自動車のボディーを打つ金型や、工作機械のベットなど大型の製品がすっぽり入れられます。」

 大きな無電解ニッケルメッキを始められたのは当時の俊夫社長のリーダーシップですねと賞めたら「餌ぶら下げられたから、パクって食べただけですね。」と。「今後もさらに大型製品の依頼はありそうだが、サイズ面での対応だけでなく新たな機能を付与する別のメッキ方法、たとえば複合無電解ニッケルメッキ等(ニッケルメッキの皮膜中にテフロンなどの微粒子を複合分散させてメッキ被膜の滑り性、撥水性などを向上させる)の提案なども行い、受注の幅を広げていきたいと思っています。」

久喜・伊奈(ともに埼玉県内)に機能の異なる6つの工場・研究所を設置

 現在、仁科の本社工場はさいたま新都心の区域内にある。拡張は難しいので、久喜市に工場を作った。ところが近所に圏央道のインターチェンジができて、飛躍的に便利になった。従来関西や九州から来る便は都心を抜けて来るので、何時に到着するのか分からず困っていたが、今では圏央道回りできちんと時刻どおりに到着する。

「私はラッキーな男なんですよ!」と俊夫会長。

 久喜には久喜工場、メカシス工場(写真2)、ユニテク工場(写真3)、ユニテクセンターの4拠点あり、主として大型のメッキ製品の処理と関連研究をおこなっている。また、伊奈町の工場は亜鉛メッキ専門だ。亜鉛メッキは、鉄に比べて亜鉛はイオン化傾向が高いため、亜鉛が犠牲になって鉄の酸化を防ぐもの。また、クロメート処理は表面のクロム膜が何らかの原因で破損したとき、自動的に6価クロムの膜を精製して本体を保護する。2種類のクロメート処理が可能で、3価クロメート処理の他、耐食性が求められる場合は有機クロメート処理を推薦している。

写真2 メカシス工場
写真3 ユニテク工場

現状のものを着実に – あたり前のことをあたり前に

仁科工業株式会社
代表取締役
社長 仁科一彦氏

 仁科一二氏の長男一彦氏は現在仁科工業の社長だが、進学に際し視力の問題があって、実験・観察が必要な理系を断念し、東京大学経済学部に進学した。成績優秀でフルブライト留学生としてアメリカMIT(マサチューセッツ工科大学)留学も経験したが大学院卒業後、経営・ファイナンスの専門家として大阪大学で教鞭をとることとなった。大阪大学定年後は明治学院大学の教授を務め、70才になって俊夫会長の要請で仁科工業の社長に就任した。金融学の世界では有名で、今も国際シンポジウムなどに招かれるという。

  現会長の俊夫氏は高校卒業後、長男が学者になってしまったのを反省した。父親の方針で大学には進まず、すぐに仁科工業の現場に入った「叩き上げ」だ。(やっぱり資格は大事だと、後に大学に入学し卒業している。)子供の頃から夏休みには、工場へ入れといわれた。クロームメッキ部品を引っ掛けに吊すと、どうしてもクロームの液が残る。学校へ行くと、『お前の爪はどうしてこんな黄色いんだ』とからかわれました。

 会社に入ってからは、営業と現場を兼務し、自らトラックを運転して納品するなど黎明期の苦労をすべて体験しました。だからトラックの運転は自慢じゃないがうまいんですよ。結構大変だったのが、山梨の会社に納品するのに、今は中央高速道ができたからいいんですけど、当時は小仏峠を越えなくてはならない。荷物が満載だとスピードが40キロぐらいしか出ない。昔はダブルクラッチといって、ギアを切り替えるのに、2回クラッチを踏む。その間にスピードがガクッと落ちて、なかなか回復しない。もう大変でした。ですから、相模湖インターのあたりを通ると、「ああ、ここの坂大変だった。」と思い出す。また現地では、手下ろしです。で、少し知恵がついて台車を持っていくようになってから、だいぶ楽になりました。だいぶしてからフォークリフトの登場。あんないいものはないと思いました。

 今もたまに現場で『こうすればいいんじゃないか?』って言うと現場の人間が『お前やってみりゃいい』みたいな顔をするんです。それは悔しいからね。俗に『網振り』って言って網の中に製品を入れ、それを槽に入れるんですけど、僕は一応うまく、メッキ液が良く回るようにでるので、みんな驚くんですよ。「あ、はっはっ。」と俊夫会長。猪突猛進で設備を拡大し、技術を発展させてきたのは俊夫会長のリーダーシップだ。

適度な緊張感を持つことが – 現場力強化につながる

 現社長の仁科一彦氏は「かって日本の製造業は、海外流出が続き、空洞化が叫ばれていました。そのような状況下で仁科の生きる道は、アジアではできない案件を扱うことだと考えています。競争相手より1歩先を行き、あたり前のことをあたり前にやることが大事だと思っています。仁科が70年続けてこられたのは、現場力のおかげです。中途採用でも意欲のある社員には、メッキの職業訓練校に1年間通ってもらうなど、マイスターの育成に力を入れています。また、メッキ工場で働くためには、メッキ技能士、公害管理防止者、危険物取扱者、衛生管理者、玉掛資格者など多くの資格が必要なため、資格取得も奨励しています。(写真4)

写真4 従業員の活動等(勉強会風景1)
写真4 従業員の活動等(勉強会風景2)
写真4 従業員の活動等(勉強会風景3)

 俊夫会長は「社員たちには、いつも『ハングリーであれ』と伝えています。不安感はよくありませんが、自分に当てはめてみても緊張感で尻をつつかれないと動かないのが人間です。適度な緊張感を持ち続けることが必要です。2014年から高校生のインターンシップも受け入れています。そのときの高校生が4月に入社することになり、年賀状をもらったのは嬉しかったですね。新人の教育も重要なので、現場の担当者には『子分作りをしてください』と話しています。親分がいっぱいいて、○○組などのようにグループ同士切磋琢磨してもらえると、現場力強化につながると思います。それが提案型企業へのスキルアップにつながると信じています。」

産学連携など合わせ技で ‐ 開発技術を高めたい

 一彦社長はいう「当社は開発技術が弱いので、今後注力していきたいと思います。ただ一からすべてできるのが理想的ですが我が社が全部やるのは無理なので産学連携などを図りながら『合わせ技』や『隠し技』で勝負していきたいと思っています。尊敬している大学の先生からは『ハイテク製品も優れたメッキがなければローテク。メッキのローテクがハイテクを支えている』と言われ、メッキ企業としての衿持を新たにしました。当社では、自動車部品、液晶部品、大型コンプレッサー、ビルの免震装置など様々な製品にメッキ加工しており、結果的にリスク分散型になっていますが、それだけあらゆる分野で必要とされているといえます。時代の流れが変わっても、メッキはなくならないと確信しています。当社は、特殊な分野に携わることが多かったので、ずっと『お山の大将』のような感覚でした。最近は、外の世界からいろいろと学ぶことが多く「井の中の蛙、大海を知らないときの方が幸せ。」などと自嘲していますが、それは、きっと次の幸せのためのステップ。次にはどんな展開が待っているか、ワクワクしています。 工場が多いと思われるかもしれませんが、製造業は人材育成ともにハ一ド面の充実も大切です。製造できる場所を用意しておけば、社員も安心して仕事に取り組めます。」

仁科工業株式会社沿革

1956年(昭和31年) 仁科工業株式会社設立(仁科一二氏)。主に亜鉛メッキ、装飾クロームメッキを主力とする。
2012年(平成24年) ユニテク工場を新設。メカシス工場の重量20tラインを移設。手動ラインをメカシス工場へ移設 PTFEラインの新設を行う。「さいたま市リーディングエッジ企業(※)」に初認定。
2015年(平成27年) 「さいたま市リーディングエッジ企業」継続認定(2回目)。
2024年(令和6年) 「九都県市のきらりと光る産業技術表彰」受賞。
2025年(令和7年) 産業デザイン財団賞 受賞

これまでのコラム

第1回 日本の町工場は人材育成工場
第2回 継ぐ者、継がれる者
第3回 会社を成長に導く社長の共通項とは
第4回 伸びる会社の社長は他人の能力を正しく評価し、活用できる
第5回 たった一人の板金工場から、革新的なアイディアと技術力で急成長を遂げ、その後、ものづくりベンチャーの援助に汗を流し続ける町工場の社長=浜野慶一さん
第6回 発明王 竹内宏さん
第7回 水馬鹿になって安心な水つくりに取り組む 桑原克己さん
第8回 大森界隈の名物会社 金森茂さん
第9回 夢を描き、進化させる 田中聡一さん
第10回(前編) 母から娘へ、技術と理念を繋ぐ-小松ばね工業(株)
第10回(後編) 母から娘へ、技術と理念を繋ぐ-小松ばね工業(株)
第11回 逆境を跳ね返す ものづくりの情熱 細貝淳一さん
第12回 笑顔と絆で育む、井上鉄工所の挑戦
第13回 技術と共創で時代を切り拓く ― 東尾メック(株)の挑戦と進化
第14回 ベルニクスの高信頼性電源と新領域への挑戦

筆者紹介 橋本 久義(はしもと ひさよし)

政策研究大学院大学 名誉教授

筆者紹介の詳細は、第1回をご参照ください