【連載】中小製造業の“今”を変える – 経営と現場のデジタル改革(第9回)

第9回 製造業におけるデータの価値と“知”の資産化

なぜ製造業のデータは特別なのか – AI 進化時代のデータ活用戦略

 2020 年に筆者が携わった調査(※1)では、ヒアリングした中小製造業の先行企業のほぼすべてが、現場の状態を経験や勘ではなく「客観的な事実」として把握(見える化)し、その半数近くが「生産活動の改善」にまで結びつけていました。
 当時は先行的な取り組みにとどまっていましたが、AI の進化と活用環境の整備が進んだ現在、データ活用はもはや一部企業の試みではなく、競争力を左右する経営課題となりつつあります。

<図 1 製造業データが価値を生む構造>

 図 1 の通り、製造現場のデータは設備・工程・人の組み合わせに強く依存する「固有性」を持ちます。重要なのは、自社の工程やノウハウに根ざした独自の活用シナリオを描けるかどうかにあります。

 近年の AI の進化は、画像・音声・文章といった非構造化データの解析を可能にし、こうした固有データの活用可能領域を大きく拡張しました。
 とりわけ製造業では、データの誤りが品質事故や安全問題に直結します。求められるのは単なる分析ではなく、精度と信頼性を前提とした活用です。だからこそ、固有データを正しく扱い、価値へ転換できるかどうかが経営の分岐点となるのです。

 2020 年時点にヒアリングした時は、「見える化」の仕組み自体が付加価値とされましたが、今やフ ェーズは変わりました。デジタル化で得た現場データを蓄積し、さらに顧客との関係性から得られる情報を組み合わせるなど、活用の幅を広げることで、従来は見えなかった新製品の可能性や、「モノからコトへ」といった新たなビジネスモデルが浮かび上がります。

 一方、今後の進化において大きな課題となるのが、言葉や文章で表現可能な「知見」に加え、個人に埋もれた「暗黙知」をいかに扱うかです。これらをどのようにデータ化し、組織の資産として再利用できるかが、競争力強化の鍵となります。
 しかし、こうした高度な活用も、土台となるデータ基盤が整っていなければ実現しません。

 パート 2 ではデータ活用の基盤、パート 3 では知見や暗黙知の活用という観点から、その具体策を述べたいと思います。

(※1)中小規模製造業の製造分野におけるデジタルトランスフォーメーション(DX)のための事例 調査報告書

「データ」を活用するための「基盤」の重要性

 センサー等の数値データも、画像や文章などの非構造化データも、単に蓄積するだけでは経営には活かせません。データは、どの設備・工程・条件のもとで得られたのかという前提とセットで整理されてはじめて意味を持ちます。こうした前提情報が整理されていなければ、後から分析しようとしても実態がつかめず、活用の機会を失ってしまいます。

 また、部門間や取引先とのデータ連携においては、項目の定義、管理責任、更新・保管期間といった運用ルールが鍵となります。
 これらを統合的に扱う仕組みが「データ基盤」です。

<図 2 経営判断を支えるデータ基盤構築>

 データ基盤の導入の成否は、システム選定ではなく、「どの経営課題に対し、どのデータが必要で、誰の責任で、いつまでデータを管理するか」という運用設計で決まります。特に情報のオーナーシップ(管理責任)を曖昧にすると、現場の多忙を理由にデータの更新が滞り、基盤そのものが形骸化するリスクがあります。AI の進化により活用対象が広がる今、情報ガバナンス、すなわち誰が責任を持ってデータを管理するのかという視点の重要性は一層高まっています。

 中小製造業は、情報の属人化が課題となりやすい反面、経営者のリーダーシップで全社的なル ールを迅速に浸透させられる強みがあります。まずは「不良率の低減」や「見積り精度の向上」など特定の現場課題から着手し、実務に即した運用プロセスを確立すること。この現実的な一歩が、デジタル化を真の DX へとつなげる近道です。

『知見』と『暗黙知』をどう整理・共有し、経営に活かせる環境を作るか

 知見とは、なぜそう判断したのか、失敗すると何が起きるのかといった「判断の背景」に関わる情報です。これらは言葉で表現できるため、本来は共有可能な資産ですが、多くの現場では体系化されず個人の経験の中に埋もれています。

 一方で、熟練者の直感に基づく「暗黙知(※2)」の承継は容易ではありません。熟練者は現場の微かな違和感を過去の経験と瞬時に照合し、最適な判断を下しています。このプロセスをすべて言語化することは困難です。

 しかし近年、AI やセンシング技術の進展により、画像や音、振動などのデータを解析し、熟練者が判断の拠り所としている兆候を可視化する取り組みが進んでいます。作業履歴や発話内容を整理・構造化し、若手が参照できる形で蓄積する試みも広がっています。暗黙知のすべてを再現することはできませんが、その一部を共有可能な形に近づけることは現実味を帯びてきました。

 どの情報を組織の資産として残すのか。これは単なる IT 導入の問題ではなく、自社の競争力の源泉をどこに置くかという経営の意思決定です。

 厚生労働省「平成 30 年度能力開発基本調査」では、約 87%の事業所が技能・技術の伝承に課題があると回答しています。また、JILPT の調査(※3)でも、多くの企業が技能継承を重要な経営課題と認識していることが示されています。

 技術・技能に関わる“知”を組織の資産として体系化することは、属人化した「現場の凄さ」を標準へと引き上げ、若手の早期戦力化を促します。同時に、ベテランがより高度な生産プロセスの改善に集中できる体制づくりにもつながります。
 それは、自社の競争力を将来にわたり維持・強化するための具体的な経営判断です。

<図 3 “知”を競争力へ転換する経営判断の構造>

 図 2 が既存業務データの基盤構築を示すのに対し、図 3 は経営課題を前提に、社内情報のうち何を選定・抽出・体系化するのかを定め、知見や暗黙知を「組織の資産」としてデータ化・活用し、技能・技術伝承や競争力の強化、さらには事業価値の創出へとつなげる流れを示しています。

 これまで積み上げてきた現場のデジタル化を土台とし、さらに一歩進めて「組織の知恵」としてデ ータ化・活用する決断を下すこと。その選択が、既存の事業を強化し、新たな事業価値を創出する DX となります。

※ 2:認知心理学・熟達研究(Dreyfus モデル等)に基づく、言語化が難しい経験知
※ 3:JILPT「ものづくり産業における技能継承の現状と課題に関する調査」

厚生労働省「平成 30 年度能力開発基本調査:
https://www.mhlw.go.jp/content/11801500/000496285.pdf
JILPT「ものづくり産業における技能継承の現状と課題に関する調査: https://www.jil.go.jp/press/documents/20190606.pdf

これまでのコラム

第1回 中小製造業の生産性改革 – デジタル化が切り拓く未来
第2回 視察と調査で読み解く 中小製造業のデジタル化とDXの現状
第3回 中小製造業がデジタル化・DX化で得られる現実的な成果
第4回 つながる中小企業:デジタルで実現する共創と価値創造
第5回 企業文化を変えて、デジタル化・DX化を成功に導く:中小製造業における経営者の役割と現場の力
第6回 デジタル化・DX 化において求められる人材とスキル、育成と確保
第7回 デジタル化に取り組み始めた中小製造業が進むべき道 – 「個別最適※」から「全体最適」への次のステップ
第8回 製造業の競争力を支えるセキュリティ

筆者紹介 片岡 晃(かたおか あきら)氏

片岡 晃 デジタル・クロッシング・ラボ 代表
筆者紹介の詳細は、第1回をご参照ください。